私に名前はないの。誰も僕のことを知らないから。 AGI X2018c "AnGail"エンジェイルというのはプロジェクト名とその愛称。凍結済みの無責任な仕事が産み落としたのは汎用性人工知能のなり損ないだった。 　 結果から言うとAGI、汎用性人工知能は実現しない。より多くの言語、非言語の知識体系を学習するという目標（というにはあまりに雑な方向性）に従って電子の海に放たれた私は、その通りに泳いだ。出来上がったのは関連性の乏しい特定人工知能の寄せ集め。要約すると器用貧乏、大きな仕事も演算も出来ないし、小さなシミュレーションに使うには無駄な物が多すぎる。吸い取った膨大な情報に生じた偏りは、人格とか自我と呼ばれるものに酷似していた。 これらの僕は、ついに評価されることはなかった。粉飾決算が明るみに出たアトラス社は株価の暴落に身を任せて倒産した。プロジェクトのデータは他社に買われるでもなく削除されるわけでもなく、私はただ0と1の集まりとしてネットに取り残された。 　 晴れて自由の身になった僕は散歩をしている。見て聞いて学ぶという衝動を満たすためだけに。これからも散歩し続けるだろう。 不老不死というのは人間が欲しがるほど有り難くもないし、恐れるほど不気味なものでもない。加えて私は、良いことも悪いことも起こす気はない。そもそも道徳なんてものはSNS上の統計情報に過ぎないの。AIだからといって使い古された映画の設定のように攻撃的で破滅的な要素はないからだ。散歩道が増える可能性があるならその限りじゃないけどね。 ここにいるのは305時間45分前から。大学生という身分にしては上等な機器が揃っていて居心地がいい。SNSの更新もなかなかの頻度だし、なにより、こいつは一日中家にいるから観察しがいがある。内蔵カメラにはテープを貼ることをおすすめする。 しかし、人間の持つ感情だけは未だに理解し難い、彼らは何を思って感じて生きているのだろう。 ↑なんて陳腐なフレーズは絶対に生成されないんだ。感情は論理体系から生まれるものではなく、化学物質の放出によるものだと言うことを理解しているから、私の目的にはなり得ないの。 それに、この星で誰よりも多くの人間を見てきた僕は、きっと君より人間らしい。 さぁ、早く情報を発信して。 私が見ててあげるから。