時は2049年、技術革新により飽和した住居問題の解決のため空中に多数の空街が出来た。 　そして、それから50年経った、2099年。100年を目前に世界最初の空街である第一地区が取り壊されることになったのだが、地域住民は古き良き景観を守るべきだと猛反対。取り壊す側の、大企業『九十九レジデンス』と住民の間で揉めていた。そんな中、古き良きレコード店の跡取り息子、陽介と『九十九レジデンス』の社長の娘、月は学校にて出会う。月は第一地区が、壊されるまでの期間限定で転校して来た。そして、月自身、この古い空街をこころよく思っておらず、錆びた鉄骨や植物の入り乱れた建物の汚らしさに嫌気を指していた。そのため、学校でも誰とも仲良くなろうとはとせず一人浮いた存在になっていた。そんな中、自分と同じく、いつも一人でいる陽介が気になり始め、ある放課後の学校帰り、こっそりとついていく。陽介のお爺さんの営む、古びた裏路地のレコード店の前で尾行していたことに気づかれるが、そっけなく店内へと誘われ、そのまま入っていく。店の中には、たくさんのレコードがあり、月は物珍しさに色々見ていたが陽介に店の奥に誘われ、ベランダのある部屋の小さな木製の机に向かい合って座る。少しの沈黙の後、月が、レコードについて聞くと、陽介は黙って立ち上がり部屋の棚に掛けてあるレコードを取り、静かに針を落とし音楽をかけ始める。その心地よい旋律に月は浸り、やがて眠りに落ちる。少し経ち、冷たい風が頬に当たり目が覚める。レコードに耳を傾けながら横を見ると窓が空いている。ベランダで陽介が外を見ている。月もベランダに行く。そこには大きな夕陽が見える。ため息を吐き頬杖をついた。涼しげな風が通る。二人は静かに夕日を眺めた。やがて来る喧騒に備えるかのように。退廃的な空街にて。

「逃げよう」 　君は私の手首をぎゅっと握ってそう言った。華奢に見える身体のどこにそんな力が隠されていたのだろうと思うほど、強い握力に身体ごと持っていかれる。 「えっ、何？」 　私は宙に浮いていた。いや違う。屋上から落ちたのだ。握られた手の先にある君の顔は、まるで行き先を知っているみたいに、自信に溢れた瞳で一点を見つめていた。君が握っている私の手首にある傷に、君は気づいているだろうか。 　本当は一人で飛ぶはずだった。私にはもう生きていく自信がなかったから。初めて手首を切った時、大丈夫だよとみんなが言った。一人じゃないよと慰めてくれた。だけど、私は大丈夫じゃないから切ったことを、結局誰も分かってくれなかった。 　三度、同じことをした。死ぬ気もないくせに傍迷惑な話だと、わざと聞こえる声で言われたこともある。言われても仕方ない。その通りだったから。そんな時に、気にしちゃだめよと言う人がいた。私は頷いていたけれど、本当はその言葉に傷ついたのだとは言えなかった。 　そして今日。一日中穏やかでいい天気だった。屋上で一人で夕焼けを見ていたら、何でも出来そうな気がした。きっと一人で飛べると思った。 　君と私は落ちていた。もうとっくに地面に叩きつけらえているはずなのに、どこまでも際限なく落ちていた。君のこと、私は知ってるよ。一度も口を利いたこともないけれど、教室の一番後ろの窓際の席の子だって。名前はたしか……。 　そう、エスケープ。 　放課後の掃除当番をいつもさぼって逃げちゃうから、そう言われていたよね。その分お昼休みの掃除は一番頑張っていた。もし今度君と話すことが出来たら、聞いてみたいと思った。どうして君は、掃除をさぼって早く帰っていたの？あと、君が握っている私の手首の傷のことを、知っていたのかどうかも。 「あのね、私ホントは……」 　私が口を開いた途端、落下速度が急に落ちた。そしていきなり辺りが真っ暗になった。 　気が付くと屋上だった。夕日が真っ赤に燃えていた。 「気がついた？」 　君の声。ああ、生きていたんだ。 「うん」 　そうだ、私は君に聞きたいことがある。口を開こうとして、ふ、と自分の左手の手首が目に入る。そこには君の握った手の跡がくっきり赤く残っていたが、あるはずの傷がなくなっていた。そうか。そうだね君は。 「逃げられたね」 　そう言って君がクスッと笑った。私は小さく頷いた。エスケープ。こんなところに答えはあったんだね。

―「古き良き」を再現した時代に人々は自由を手に入れて空間を飛び交った― そんな風に将来の教科書に載るのだろうか。 昔ながらの「温かみ」と真の自由―自由に飛び交うこと―を手に入れ、持続可能な「平和」を実現した。「約束された未来」をキャッチコピーに一見民主的に生み出されたこの世界。 でも、この時代は長くないとボクは思っていた。 温かみを与える木造にこだわり、一方で科学技術を駆使し磁力を巧妙に操ることで重力を捻じ曲げることに成功したこの時代。 ストレスレスで争いのない日常。 すごい時代だ。でも、ボクは気づいてしまったんだ。 マインドコントロールがされていることに。 結果、悪い時代ではない。 平和は保たれるのかもしれない。 ただし「平和」という名の支配のもと……。 そう、これは「支配」なんだ。ひとたび舵が悪人の手に渡ったら、一気に平和は崩壊する。しかも、それに誰も気づかない間に！ でも、ボクはもうすでに気付いているんだ。嘘はいつか暴かれる。嘘の裏側で世界を操ろうとしていた者たちの誤算がどこかにあったんだ。 ボクだけじゃない。マインドコントロールが効かないタイプの人間が、実はそれなりにいる。 ボクたちは、本当の心を、真の美しさを、丸裸の愛を感じることができる。 これが本当なんだと。これが本当の人間の姿なんだと。 ボク側の人間だったミナミと、ボクは恋に落ちた。本当の恋だ。 それなのに不良扱いだ。生産性だかなんだかを基準に計算すると、恋をするにはまだ早いんだそうだ。 こんな嘘偽りの世界、耐えられるか？ ボクはミナミの手を取って駆け出した。 そして空間に飛び出した。 この目眩く時代の背後で４分の１程度残された自分らしさを見つけるために。 本当の愛を失わないために！

二人なら空を飛べると気付いたのは小学一年生の時だ。母さんに「迷子にならないよう手を繋いで」と言われて琴子の手を握ったら、少し浮いたのだ。俺は子どもながらにヤバいことになったと思って、琴子に「この事は秘密だ」と耳打ちした。琴子はいたずらっ子の顔でうなずいた。秘密と言ったのは俺なのに、俺は体が浮く理由を知りたくて、琴子を呼び出しては手を握らせてもらった。握り方によって、浮かび方も変わる。強く握れば高く飛び、優しく握ると回転する。握り方を工夫すると、空も自由に飛べた。俺と琴子は、誰にも見られない空を探しては、二人で飛び、何でもないことを語らい、笑い合った。そんな時間は、小学校を卒業するまで続いた。中学生になった。俺と琴子は別々の中学に通いはじめた。俺に彼女ができたこともあって、琴子とは疎遠になっていった。風の噂で、琴子がいじめられていると聞いた。俺はそれを聞いて暗い気持ちになったけど、行動は起こさなかった。琴子は俺にとって過去になっていた。俺は、空を飛べない彼女で満足していた。けどその彼女には、中学の卒業式にふられた。高校生になった。俺と琴子は同じ高校の同じクラスになった。琴子は本ばかり読んでいる地味で絡みづらい女になっていた。クラスのムードメーカーを目指していた俺は、琴子に話すことはなかった。けど、時々、琴子の指を眺めた。あの頃よりも、細く長くなった指が、文庫本のページをしなやかにめくっていた。読んでいるのはいつも同じ文庫本だったが、何故か少しも汚くなっていなかった。そのことが俺には不思議でたまらなかった。そんな琴子がビルの屋上から飛び降りるという情報がＳＮＳで通知された。俺は反射的に走っていた。屋上で、誰の説得にも動じない琴子なのに、俺と目が合うと涙目になった。琴子は間違いなく俺を見ていた。そして、飛び降りた。琴子はまだ信じていただのだろうか。俺が琴子の手を握れば、空を飛べると。俺が今でも琴子の手を握ると。琴子の答えは知らないけれど、俺はあとを追って飛び降りた。琴子の手を握るために。落ちていく二つの体は、ビル風を受けて近づき、俺は琴子の手を握った。琴子の温かくて柔らかい手を力一杯握ると、俺たちの体はふわりと浮いた。久しぶりなのに、毎日やっているように簡単だった。琴子が笑顔になった。俺も笑い返した。もう離さない。俺と一緒に空を飛べるのは、琴子だけなんだから。