無機質な建物が並び、無機質な顔をした人々が歩いていた朝とは変わって、今は街中が煌めいているように見える。 午後8時半、一週間の戦いを終えた私の身体は今にも転びそうなほどフラフラだ。 メイクも落とさず、着替えもせずに、すぐにでもベッドにダイブしたい。 と思うだろう、そう、普段の私なら。 だけど、今日は違う！やっとあなたと会えるんだもの！ 本当は電話しながら待ち合わせ場所に行きたいけど、あなたがせっかくサプライズで誘ってくれたんだから、今は我慢するわ。楽しみは最後にとっておいたほうが吉ってお昼の占いで言っていたし。 朝は重低音を鳴らしていたヒールの音も、今ならタップダンスくらい軽やかに鳴らせそうなほどの足取りで集合場所に向かう。 そうそう。あなたに会う前に身だしなみもチェックしとかないとね（笑） アイラインを引き直して、マスカラもちゃんとつけて、お気に入りのグロスもばっちり！ あとは、この前のデートであなたに買ってもらったピアス。気付いてくれるといいな。 あ～なんだか今日は素敵な日になる予感！

今日はホントにツイてない最悪の一日だった。聞き慣れた街の喧騒も、今は不愉快に耳に刺さる。 　通勤電車が故障で遅れて大遅刻。おかげで会議の資料作りが間に合わず上司にお説教を食らい、さらに女ったらしの先輩に慰めるふりで肩を抱かれて「慰めてやるから今夜、飲みに行こうぜ」なんてトリハダもののセリフを耳元でささやかれ、どうやって断ろうか考えながら仕事していたせいで発注書の入力ミス。夕方になって取引先からミスを指摘され、急遽残業決定。おかげで先輩の誘いは断れたけどね。 急いで取引先に謝罪に出向き、ひたすら頭を下げまくってなんとかお許しいただいて、心も体もヘトヘトの今、すっかり日が暮れた街を歩いている。すれ違う人たちは皆、殺意が湧くほどに楽しそうで、なんで私だけチクショー、コノヤロー！ ふと見上げたビルの大型ビジョンに、見覚えのある人物が写っている。小柄で真面目そうなおじいちゃん。「えっ？」そうだった。今日のケチの付き始めは、この人からだ。 いつもの通勤電車内、大きなカバンを傍らに置いたスーツ姿の小柄なおじいちゃんがドアの近くでキョロキョロと立っていた。この地下鉄に乗り慣れていない人なのかな。私が降りる駅の３つ前で、彼は慌てて電車を降りた。でもカバンは置いたままだ。とっさにカバンを掴んで、私も閉まりかけたドアから飛び出した。「忘れ物ですよっ」おじいちゃんは驚いた様子で、「ありがとう、ありがとう」と何度も頭を下げた。「大事な、大事な書類なんですっ」そこまではよかった。だが、次の電車が故障を起こし、私はその駅で30分の足止めを食らったのだ。 大型ビジョンの映像は何かの記者会見のニュースらしい。「穀物の生育を数倍増させる品種改良法の許認可に必要な書類を本日、関係省庁に提出して参りました」え？　おじいちゃん、いったい何者？　私の疑問にアナウンサーが答えてくれた。「博士が発明したこの改良法が認可されれば、将来的には世界中の食糧不足が解消されるのでは、と非常に期待が高まっています」 大事な書類だと、おじいちゃんは言っていた。「もしかして私、世界を救っちゃったかも…？」ふわりと心が緩み、足どりも軽くなる。街の喧騒はいつもより心地いい。人間って単純だね。 ふと空を見上げて、また驚いた。夜空に光がキラキラしてる。初めて気づいてつぶやいた。「へえ、この街でも、こんなに星が見えるんだね」

　家でゴロゴロしているお子様から、残業帰りのサラリーマンまで、みなさんこんばんは。さあ、今夜も始まりました「FM 8:27」。本日の進行役は、私、手隙ヒナです。どうぞよろしく。もしかしたら初めましての方もいるかもしれませんから、一応この番組の紹介をさせていただきますね。「FM 8:27」は八時二十七分から八時三十分まで、あなたの心に毎日三分間だけお届けするラジオです。誰かの声を無性に聴きたくなる時ってありますよね。そんなときにおすすめですよ、なんて宣伝しちゃってね。はい。今日はトーテムさんのつぶやきをご紹介させていただきたいと思います。「最近彼女がとても忙しそう。仕事で疲れているらしいので癒してあげたいけど、何をしたらよいのかわからない。何をしてあげたら喜んでもらえるのかなぁ」とのことです。あ、一応紹介する前に本人の許可はもらってますよ、無断じゃないですからね。そうかぁ、恋人かぁ。いやね、こういうのって、あなたがやってあげることなら何しても喜ぶんじゃないかな、とか言いたくなるんですけど。あー、やっぱりそれじゃだめですよねぇ。スタッフからバツが出ました、無念。うーん、私だったら、疲れたまんま一日が終わってしまう前に、声が聴きたいですかね。誰かの声を聴いてるだけで、すごくほっとしません？　こういうお仕事をさせてもらっているのも、実は、私の声が誰かの励みになればいいなと思ってのことなんです。あー、でも、私には他の人の声が聞こえてこないのは、ちょっと寂しいかなぁ。まぁ、たった三分ですから、ゲストがいても話すに話せないでしょうけどね。あぁ、気づいたらもうこんな時間。そろそろエンディングですね。ちなみに、私が担当の日の終わりの曲は、私個人の独断と偏見で選んでます。今夜の一曲はこちら、「ステキナヒ」。それではみなさん、今夜もちょっぴり素敵な夜をお過ごしください。