お世辞にも居心地が良いとは言えない北風が強く吹きつける海。 僕は、まるで何かの境界線のごとく立ちはだかるコンクリートの堤防の横を歩いていた。 誰かの落書き？それとも何かのメッセージなのか、 高さ3ｍほどの堤防の壁には、赤いペンキで「I LOVE ME」と書かれていた。 僕はなんとなしに指でそれをなぞる。 すると突如、空から声が降ってきた。 「ほんの少し先の“未来”から来ました」 僕はさほど驚きもせず、ただ少し...いや大いに、がっかりしたんだ。 この世界に“未来”が存在してしまうんだ、という事に。 === 堤防に腰を掛け、僕を見下ろす見知らぬ女性（ヒト）。 冷たいコンクリートの感触にも動じず、無表情に言葉を続ける。 「君に会いにきました」 「え？僕に？…どうして？」 僕は、ポケットから煙草を一本取り出し火を付ける。 フーと吐き出した煙が、海風によって一気に空へと運ばれていくのを見届けた後、 視線を彼女に戻した。 「え？！」 僕は目を疑った。 彼女は僕と同じく口から煙を出していたのだが、問題はそこではない。 モクモクと宙に舞い上がるはずの煙の空間が、切り抜かれていた。 つまり、煙が彼女の姿を消し、空が、海が透けて見えていた。 僕は慌てて自分の煙草を消す。 「だ、大丈夫かい？」 「なぜ、君は夢を諦めるのですか？」 「...なぜって、、」 人は、混乱に混乱を重ねると怒りが込み上げてくるのだと言うことを、 この時僕は初めて知った。 「全てうまくいかないんだよ！」 烈火のごとく嘆く僕を、ただ彼女は見つめていた。 「才能がないんだ！誰も僕を必要としていないんだ！」 「諦めるしか、ないんだよ！！」 今日一番の強く冷たい風が吹き、僕はなんだかもう立っていられなくなった。 そして僕は、泣いた。 声を出して泣いた。泣くことが、やっとできた。 === ひと通り泣き崩れ、咳き上げ、取り乱した僕は、こんなにも落ち着いている。 「I LOVE ME...か」 僕はいつも結果に憑りつかれ、“頑張ってきた自分”を認めてこなかった。 誰かに愛されることばかりを望んで、僕自身を愛してあげてなかったんだ。 「もう少し、やってみようかな」 「また会いに来ます」 「...本当？」 「君が一人で泣かないように、必ず会いに来ます」 海を見つめる彼女は、もうすぐ消える。

呼びかければ、いつも笑顔を向けてくれるのに――。 「なんかなんか満たされない」と言いたげな君。 その先が怖くて、続きを言えないように先回り。 触れあえるほど近くにいるのに。 そんな君が描く未来に私がいないような気がして。 ずっとずっと言い出せないで。 せめて君の笑顔を見ておきたくて、何度も何度も呼んでいた。 おんなじじゃいられない。 知っていた未来が“いま”になっていく。 私も、少しずつ大人に近づいていく。 同じように見えて、世界はゆっくり変わっていく。 君も、君だけの夢に向かって変わっていく。 20XX年――。 いつしか街は汚いものを吐き出さなくなり、空気も水も澄み渡っていた。 蹴り飛ばす空き缶も見つからないほど綺麗な世界。 当然のように、煙草はただの無害な煙しか出さなくなっていた。 あの頃より少し鮮やかな夕暮れの景色。 空に近いこの場所で、大人ぶって吸ってみる無害なはずの煙草。 それなのに……どうして胸の真ん中が痛んでしまう。 いつもこの時間。 君も、空が近いあの場所で、同じ煙草を吸う。 声も届かない距離だけど、同じ夕暮れ空の下、同じ高さで世界を眺める。 二人それぞれの場所から、淡く照らされる煙をあげる。 ふと視線だけが触れあう。 そんなひととき。 はしゃぎ疲れた太陽。 眠たげに薄靄の地平に帰っていく。 昼でも夜でもない街並み。 でも、このままじゃいられない。 足元から光は射さなくなって。 煙がのぼるように夜は伸びてきて。 二人それぞれの場所、最後の優しい光の中。 君と私だけ照らされて。 今だけは――。 他に何も見えなくなって、世界に私たちだけ。 この瞬間、この景色。 コノヨノスベテ。

拝啓あなたへ 挨拶は抜きにさせて。 だって野暮でしょ。 さっそく本題に入るけど、そういえば元気してる？ 私？　あたし？　どっちでもいいか。 ちなみにおいらっていうのも始めたの。 大丈夫。そうあなたは言ったよね。 でも　大丈夫なんてどうして言えるの。 大丈夫。そうあなたは言ったよね。 ねえ　どこまで私のことわかっていたの？ 大丈夫。そうあなたは言ったよね。 もう　誰かになってもいい？ 大丈夫。 そう　この言葉ほど無責任でしょ なんでダイジョブって言えたの ねえ　教えてよ そういえば、隣のクラスの白石さんって知ってるでしょう？ 今度引っ越すんだって。私たちはどこかに向かわなきゃいけないんだね。 どこかで生きていかなきゃいけないのよ。 あなたは今、どこにいるの。 ま、教えてくれなくてもいいけどね。 やっぱりLINEだけは送ってくれない？ 何も繋がりがないって不安になるでしょ 沢山の言葉を紡いでみたところで何も私の中からは出てこないの。 だって何もないから。 そこには何もないんだよ。 あたしは空虚 あたしは無味乾燥 あたしは笑う人形なの え、可愛いって？ それ　言っておけばいいって思ってるでしょ？ バレバレなんだからね。 本当にどうしたらいいかわかんない 漆黒 ただ漂っていたいだけ 僕の私　俺の私　バカいわないでって言ったじゃない 誰も聞いてくれない 誰も好きなことを言う 誰も私をわかってくれない だから今日はその日。 今、流行りの脱皮の日。 私から誰か新しいあたしになって私を抜けだすの。 綺麗なもの 見えるもの それだけしかあなたたちは信じないでしょう？ もがいて　がむしゃらで　懸命な姿は 意味ないって言うんでしょう？ 見えてるものだけが絶対って 見えないものはただの言い訳って　笑うじゃない あなたはさ、特別って使いたがるでしょ その特別って変わるんだってこと　ちゃんと知ってるよ でも　笑うの だって　わかったなんて言葉に出せないでしょう だって　嫌じゃない だって　あなたは私が理解してない方が都合いいもの だから今日、私はあたしを脱ぐの いきなりでごめんね。 言わなくてごめんね。 でもわかって欲しいの。 あなたには知らせておこうと思って。 最後の私からのメッセージを。 ありがと 敬具　私

もしも誰かに「どんな人生だった？」と聞かれると 「…僕には、そんなものなかったんじゃないかな。やりたいことも別にないし、好きなこともない。行きたい場所も、喋りたい人も、夢も、たぶんなんにもないからね」 こう淡々と答えるのが、七葉心空（なのは　そら）です。 親・兄弟姉妹を含め、他の誰からも理解されようとせず、そうするうちに心空は世界から忘れ去られてしまいました。 それでも、当の本人は、記憶喪失だとか、そういうことでなく、 ・自分が何者であるのか ・長所に短所 ・性別 ・今まで何をしてきたのか ・明日は何をどうしているのか 分からないままで、それらに特段興味もありません。 が、心空は2000年の秋半ば。 ある日にちの日入り時、処女塚（おとめづか）にて、突飛で理由もない虚しさに包み抱かれました。 不意に寂しさに当てられた心空は、どういう訳か、ふと自分の昔話を、自分で自分に読み語ることにしました。 「　　　　　　　　」 何も思い浮かびません。 夕焼け色の髪の毛が、そよ風に揺らがれるだけの時間が当然に続きます。 しかしその幾秒か後、偶然に呼ばれた偶然が、心空に、友達だった人のことを思い出させました。 「あの人今どうしてるんだろ」 自問してみます。 「わかんないな」 自答してみました。 少しだけ心空の心が落ち着きます。 と同時に気づきます。 「すがりつくためにあるんじゃないんだ。心に留めて、困ったときのツテにするんだ」 自分の過去がある理由に気づきます。 心空は、自分が何なのか、理解できそうな糸口を掴みかけた、ので、すぐさま今の発見を拒絶。 あやふやにします。 心空の生き方が、反射反応として起こり、わざと自分を見失わせます。 「僕は“THE”じゃなくて、代用品の“a”」 〈僕のことは分からなくていい→そうすれば、楽でいられる。僕に期待とか勝ちたいって思ったりしなくていい→僕は何でもなくていい〉 という思考から出た、僅かに震える声に乗った言の葉で、心空は自分の人生を再認識します。 右の手、人差し指と薬指とで挟んだたばこにそっと吸いつき、口から吐き出した煙が哀れったらしく消えていくにつれ、心空は、またさらに、全てから、気づかれることなく忘れられてゆきます。